小沢牧子さんからのメッセージ
「多様な場でなく、多様な子どものいる学校を」 この学校化社会を通過する不登校の子どもはたいへんですが、おとな
もまたたいへんです。この法案は、たいへんなおとなにとって役立つも
のかもしれないけれど、一番たいへんな子どもにとっては相当に気の毒
なものだと思います。能力、評価、認定などの言葉のもとに子ども・親
をコントロールし、子どもはいっそう窮地に追い込まれるからです。な
んとか廃案にしなくてはならない法案だと考えます。
学校の歴史は、国が子どもたちの居場所をバラバラに分けてきた歴史
でもあります。親もそこに加担してきたかもしれません。「知的障害で
はなく学習障害だった。(よかった!)」「あの問題児とはちがって親
のせいではなく、発達障害だったんだ(わかった!)」というように。
そこにもう一つあらたな場を作っても、余計におかしくなっていくだけ
です。違いで居場所を分けていくのではなく、手のかかる子やそうでな
い子もいっしょの場にいられる学校でなくては。「いまは学校に来ない
子」だって居ていいじゃないですか。それこそが多様というものでしょ
う。分ける場の多様さではなく同じ場での子どもの多様さと、時間に子
どもを委ねる自然な力をもった、子どもに親切な場としての学校を求め
ていく。困難でも、学校の居場所化を。そこに、今の世の中の「生きづ
らさ」を解く第一歩もあるのだと思います。(小沢牧子)
池田メモ 2015年8月9日
池田賢市
◎多様な教育確保法(仮)
(義務教育の段階に相当する普通教育の機会の確保に関する法律)
○目的 義務教育として行われる普通教育を十分に受けていない者がいることを踏まえ、これらの者に対する義務教育の段階に相当する普通教育の機会の様々な方法による確保に関する施策に関し、基本理念を定め、施策を総合的に推進する。
○基本理念
○夜間中学に関して…地方公共団体は、学齢期を経過した者であって、学校における就学機会が提供されなかった者のうちその機会提供を希望する者が多く存在することを踏まえ、夜間その他特別な時間において授業を行なう学校における就学の機会の提供その他の必要な措置を講ずるよう努める。
◎多様な教育機会確保法に対する批判的な検討
① 不登校等、一定の者を排除してしか成り立たない、いまの学校のあり方を大前提にして制度を考えている。
したがって、この法案が成立すれば、一層排除がすすむ。むしろ排除されている状況が正当化されている。
本来、教育の機会は"均等"であるはず。
その機会が"多様"であったのでは、分断が当然視されることになる。
学校に来られないなら、来なくてもよい、ということになる。
→要するに"学校のあり方"を問うていない!!
②年齢を問わないという点に問題がある。
義務教育のあり方が、年齢主義から課程主義に変更!?
→cf.
基本理念の1、2
年齢主義…学ぶ権利を保証するため一定期間子どもを働かせないことで、学びの環境に置くことを保護者の義務とする。教育内容は学ばなければならないものとしてはじめから存在しているわけではない。何かを義務的に修得しなければならない、という発想はない。
課程主義…学びは一定の目的に合った義務として位置づけられる。学びの内容・目的ははじめから定められており、その不十分な修得は問題視される(かつてヨーロッパ絶対王政時代の義務教育制度。国家の定めた内容を修得することが国民の義務。)
※しかし、この両者の関係はむずかしい…。
③ 公教育の民間市場への開放になる。
当然塾産業が参入しやすくなる。しかも、公的財源を確保することができる。(税金を塾に流すシステム)
④ 個別学習計画によって、せっかく学校を離れて自らの学びを考えていく者に、学校の枠をかぶせることになる。
希望者のみ、と言うが希望しないものには修了証書は出ないことにより、この計画を作成しない者が不利になる。